【インタビュー】「イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団」日本人元楽団員 神戸光徳インタビュー 2/3
9年ぶりに来日するイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団。2026年にミュンヘン・フィル首席指揮者への就任が決まっている俊英ラハフ・シャニによる指揮や、第18回ショパン国際ピアノコンクール第4位入賞の小林愛実がソリストで登場することで、大きな話題となっています。
2010年から2011年にかけて同楽団に所属し、当時は少なかった外国人メンバーのひとりとして活躍されたティンパニ奏者の神戸光徳さんに、イスラエル・フィルの魅力をうかがいました。(フェニーチェ堺情報誌 転載 取材日:2023年7月10日)
神戸光徳(かんべ みつのり)
東京芸術大学中退後、マンハッタン音楽院再入学からのエルサレム交響楽団入団。その後イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団にてティンパニ・打楽器奏者として活動。帰国後各地で客演首席として活動しティンパニ奏者としてパシフィックフィルハーモニア東京へ入団。
—イスラエル・フィルといえば今も敬愛される2人の音楽家、レナード・バーンスタインとズービン・メータがいます。
イスラエル・フィルでは、強靭なリーダーシップを持っている指揮者でなければ上には立てないですね。私が所属していたときの音楽監督メータには、絶対的なリーダーシップがありました。本気で音楽をぶつけ合うことによってのみ発生する衝突/化学反応を、指揮者がどのように調理するのか。音楽家としての器や信念はどうか。人の反応をうかがいながら忖度して生きてきたかどうか、オーケストラには瞬時にわかってしまいます。そこが怖い面であり、楽しい面でもありました。フレーズにしても音量にしても理にかなっていれば受け入れますが、そうでなければ相手にされない。基本的にはとてもオープンな人たちなのですが、そのあたりはハッキリしていたと思います。
—ひと筋縄ではいかない。
イスラエル・フィルにはずっと語り継がれている伝説の公演がいくつかあって、かつて大阪でバーンスタインが振ったマーラーの9番は言葉を超えた超絶体験の音楽だった、とたくさんの方から聞きました。レニー(彼の近くで仕事をした人はみんなバーンスタインを愛称で呼んだ)はじっと涙を流し、往年の奏者たちも意味もわからず涙が止まらないまま演奏を続けて、曲の最後を迎えると席を立つどころか、弓を下ろすことさえできなかった。「芸術の本質の中を生きた感覚」だったそうです。自分たちの理想の響き、これだ!というサウンドは、こうやって積み上がっていくんですね。
—イスラエル・フィルは弦の音が白眉であると称賛されますね。伝統だ、と。
たしかにユダヤ人特有の、弦の音がものすごく吸い付く瞬間があります。コーガンやハイフェッツなど、昔からユダヤ人には有名なバイオリニストが多く、イスラエル・フィルの創設者フーベルマンもそうでした。楽器の良し悪しとはあまり関係がなくユダヤ人独特の音の感覚があって、それがオーケストラになると増幅されるわけですから、他とはちょっと違ったキャラクターになります。私がいた頃はダークなサウンドといわれていて、民族色が強いというか、音の概念が違うと感じたものです。
どう違うのかを説明するのは難しいのですが、たとえば暗譜のことを英語ではmemoryとかmemorizeというのに対して、私がレッスンを受けた先生はPlay by heart、bottom of my heartと表現しました。非常に人間的に音をとらえ、有機的な演奏をする。普遍的な音を出したいとみんなが思っていて、うずをまくような、うねるような音が弦楽器からするというのが特徴ですね。
—なぜ独特の音がするのでしょう?
友人から聞いた話です。音楽と生活が一体化している文化的背景に加え、ヨーロッパ社会で永く迫害されてきたユダヤ人にとって、生きていくために手っ取り早く稼げる数少ない方法がストリートミュージシャンでした。技術さえあればどこでも稼げるし、バイオリンなら隠すこともできます。最悪、バイオリンを売ってお金に変え、子どもにパンを食べさせることができる。だからユダヤ人の家庭にはバイオリンがあって、弾ける人も多かった。子どもの頃から家族のなかにいつも音楽があり、習い事ではなく生活のツールとして弦を弾いてきた人たちが音楽家という職業を選択したら、それはやっぱり音や音楽に対する概念が違うでしょ、と。
私がイスラエル・フィルにいた当時の首席チェロ奏者はずいぶん年季の入ったベテランで、オーケストラではストラディバリウスを貸与されて使っていましたが、自分の持っているチェロはツギハギだらけ。「おれは楽器なんてなんでもいいんだ、別に弾けるから」といっていました。
—そのあたりが“本質をとらえる”というところでしょうか
ユダヤ人はきわめて現実的なんですよ。私がイスラエルに住んでいた頃はホロコーストを生き延びた人がまだまだいて、オーケストラには兵士として中東戦争※を戦った経験のある人が何人もいました。昨日まで一緒に飯を食っていた友達が、今日は自分の隣で死んでいる。そんな世界です。私の祖父母も戦争を体験していますが、イスラエルでは昔の話ではありません。21世紀に入ってからもレバノン侵攻やガザをめぐる戦いなどで、みんなが過酷な経験をしています。男だけの話でもありません。徴兵制があるので男性は3年、女性は2年、兵役を務めます。イスラエルは小さな国で、国内どこからでも車で3~4時間も走ればそこは戦地、係争地です。あるいは自爆テロで、身体中に爆弾を巻きつけた人が飛び込んでくる日常が、ついこの間まであった。だから、彼らは物事の序列が明確です。何が好きで、本当にやりたいことをしているのか。その人がどう生きているのかがとても重要で、失敗なんて些細なこと。死が身近にあるので、余計なことに人生を費やすヒマがないんですね。アップダウンがあるのは当たり前なんだから、助け合ってどんどん前に進もう。やりたいことをやろうよ、と。
中東戦争:1948年から1973年まで、イスラエルと周辺アラブ国家との間で断続的に行われた戦争。
公演情報
世界最高の弦を心ゆくまで堪能。
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団2023年日本ツアー