世界の音楽都市 ~第2回ポーランド~
クラシック音楽の歴史と文化が息づく世界の都市を題材に、その魅力を紐解いていく連載「世界の音楽都市」。執筆は、古楽やオペラを中心に執筆・講演活動を行う音楽物書き・加藤浩子さんです。
第2回はショパンの故郷、ポーランド。首都ワルシャワとカトヴィツェ、ピアノだけにとどまらない多彩な芸術と文化の街を巡ります。ショパン・コンクールをはじめ、世界中のファンを惹きつけてやまない“音楽大国ポーランド”の奥深い文化を、ぜひお楽しみください。
ショパンだけ、ピアノだけではないワルシャワの音楽の魅力
ポーランドといえば、ショパン。
誰もがそう思っているし、もちろんポーランド人だってそう思っている。
実際、ポーランドの首都ワルシャワはショパンの街だ。ショパンが赤ん坊の時代から20歳までを過ごした青春の街。その後帰郷を願いながら果たせず、39歳でパリで亡くなった時、心臓だけでも帰りたいと遺言した街。
彼の願い通り、ショパンの心臓はワルシャワに戻り、聖十字架教会の石柱の中に収まっている(遺体はパリのペール・ラシェーズ墓地に葬られている)。ショパンの姉ルドヴィカは、弟の願いを叶えるため、心臓をコニャックに漬けてクリスタルの器に入れ、スカートの中に隠して運んだという。

聖十字架教会外観とショパンの心臓が収められた柱
ワルシャワでは至る所でショパンの音楽が聴ける。コンサートホールやレストランはもちろん、ボタンを押すとショパンの曲が流れる「ショパン・ベンチ」までしつらえられている。夏場には、有名なショパン像が佇むワジェンキ公園で野外コンサートがひらかれる。第二次大戦の瓦礫の山から、壁のひびに至るまで見事に復元された旧市街の歴史的な街並みや、街のあちこちに点在する緑滴る公園に、ショパンの音楽はよく似合う。
そして5年に一度は、ショパンの大祭典、ショパン・コンクールが巡ってくる。コロナで1年遅れた第18回のコンクール(2021年)はネット配信で全世界中継され、熱狂的な反響を巻き起こした。パソコンやスマホにかじりついて睡眠不足になった人も少なくなかったよう。この秋には、第19回の本選が控える。旅行会社が主催する鑑賞ツアーは早々に完売になり、本選などはツアー参加自体が抽選だとか。ネット社会とはいえ、やはり現地での体験は何ものにも代え難い。

ワジェンキ公園での屋外コンサートの様子
だが実はワルシャワは、ピアノだけ、ショパンだけの街ではない。ショパン・コンクールで伴奏を務めるワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団は、1901年に創設され、著名な作曲家であるパデレフスキやルトスワフスキも指揮をとった、歴史的にも演奏水準でもポーランドを代表するオーケストラ。オペラも充実しており、ヴェルディやプッチーニといった王道レパートリー、そしてモニューシュコをはじめポーランドの作曲家のオペラを上演している「ポーランド国立歌劇場」と、コンパクトな規模でモーツァルトのオペラを主要なレパートリーにしている「ワルシャワ室内歌劇場」が競っている。前者は1800席ある伝統的な大劇場で、後者は400席の小劇場。劇場も中身も対照的なので、並存するには理想的だ。
実は2つの歌劇場は日本にもたびたび来ており、特に「ワルシャワ室内歌劇場」の来日は8回を数え、《魔笛》や《フィガロの結婚》などで、芝居小屋にいるようなヴィヴィッドな舞台を楽しませてくれた。

ワルシャワ大劇場
「ポーランド国立歌劇場」は1833年の開場と200年近い歴史を誇るが、当時のポーランドは帝政ロシアに組み込まれた直後だった。その前からロシアによる実質的な占領は進行しており、1830年11月には「11月蜂起」と呼ばれる革命騒ぎが起こってロシア軍に鎮圧される。翌31年にはワルシャワが陥落、翌々32年にはポーランドは完全にロシアの支配下に置かれた。「国立歌劇場」はその翌年に開場したのだった。
ショパンは「11月蜂起」の鎮圧を旅先のウィーンで知り、ロシアの占領によって母国に帰れなくなる。だからこの劇場に足を踏み入れたことはない。もしそれが実現していたとしたら、どんな気持ちになったことだろうかと想像してしまう。
充実している地方の音楽生活〜音楽大国ポーランド
ショパンに限らず、ポーランド人は音楽が好きだ。地方都市でもオペラやオーケストラが盛んなことは、その証明だろう。
ポーランドの南、チェコとの国境に近いカトヴィツェを本拠とするポーランド国立放送交響楽団(NOSPR)は、地元に溶け込んで愛されていると同時に、一流の指揮者を迎えて国際的に羽ばたいているオーケストラである。1935年にワルシャワで創設され、大戦後の1945年にカトヴィツェで再開。ポーランド放送局のオーケストラとして、コンサート活動の傍ら多くの録音を残した。20世紀のポーランドはシマノフスキ、ペンデレツキなど多くの作曲家を生んだが、彼らの作品を世界に紹介する役割も担ってきた。

NOSPR
誤解を恐れずにいえば、カトヴィツェはポーランドの一地方都市に過ぎない。その街にこれだけ高い水準のオーケストラがあり、地元出身の名建築家トマス・コニョルが設計し、永田音響設計が音響を担当した音響抜群のNOSPRホールがあることは、ポーランドが音楽大国であることの証明である。
2023年に就任した芸術監督兼首席指揮者のマリン・オルソップは、オーケストラメンバーからの信頼も厚く、両者の演奏には温かみがあふれる。前回の来日(2022年)に続き、2021年のショパン・コンクールで旋風を巻き起こした角野隼斗との再タッグや、エリザベート王妃国際コンクールで5位入賞を果たしたばかりの亀井聖矢との共演は、心揺さぶられるひと時をもたらしてくれるに違いない。
加藤浩子(音楽物書き)
https://www.casa-hiroko.com
photo:
聖十字架教会外観©Adrian Grycuk, CC BY-SA 3.0 PL
ショパンの心臓が埋められている柱©Zala – Own work, CC BY-SA 4.0,
ワジェンキ公園での屋外コンサートの様子©A.Osytek, CC BY-SA 3.0 PL
ワルシャワ大劇場©Chris Olszewski – Own work, CC BY-SA 4.0,
NOSPR© Bartek Barczyk